高校野球の名将で、広島県立竹原高等学校野球部監督の迫田穆成さん。
そんな迫田さんが84歳の若さで亡くなった事が明らかになりました。
今回は、
- 迫田穆成が死去
- 迫田穆成の死因は?
- プロフィール
- ネットの反応
- まとめ
についてまとめていきます。
迫田穆成が死去
2023年12月1日、広島県立竹原高等学校野球部監督の迫田穆成さんが亡くなった事が発表されました。
特に高校野球ファンの方にとっては、かなりショッキングなニュースですよね。
竹原高校の梶白博志校長は、迫田さんの死去について次のように語っています。
「11月中旬に校長室で生徒のことや今後の練習試合のことなど、楽しそうに話してくれていた。体調が悪いとは伺っていたが、まさかという感じ。(野球部員は)迫田監督を慕って本校に入学した生徒たちなので、涙ぐんだりしていて、そのショックは計り知れない」
11月中旬までお元気だったというのに、本当に驚きですよね。
ただ、84歳というご年齢を考えると仕方ないのかもしれないですね。
迫田さんは現役時代に甲子園優勝し、監督としても甲子園優勝を果たすなど名将として知られていました。
野球部員の中には、迫田さんの元で野球をやりたいという想いで入学された方も多いはずです。
今後の竹原高校野球部についても心配なところですね。
とにもかくにも、今は迫田さんにはゆっくり休んでほしいものです!
迫田穆成の死因は?
今回亡くなってしまった迫田さんですが、その死因はいったい何だったのでしょうか?
報道によると、死因は「すい臓がん」だったそうです。
すい臓は沈黙の臓器と言われており、早期発見が難しく見つかったころには、病状が悪化しているケースが多い事が知られています。
今回の迫田さんも、秋以降突然体調を崩されたとの事だったので、症状が出始めたころには既に病気は厳しい状態だったのかもしれないですね。
それでも、亡くなるその時まで高校野球部の監督だった、というのは迫田さんの生き様を表していますね。
今はゆっくり休んで、これからの高校野球界を見守っていてほしいです。
迫田穆成のプロフィール
今回は、迫田穆成さんのプロフィールをまとめてみました!
名前 | 迫田穆成(さこた よしあき) |
生年月日 | 1939年7月3日(84歳没) |
職業 | 高校野球監督 |
出身 | 広島県 |
ポジション | 外野手 |
選手歴 | 広島県立広島商業高等学校野球部(甲子園優勝) |
指導者歴 | 広島県立広島商業高等学校野球部(甲子園優勝)
広島県立三原工業高等学校・如水菅高等学校(8度の甲子園出場) 博メ県立竹原高等学校 |
ネットの反応
今回の迫田穆成さんのニュースを受けて、世間ではどのような反応があったのでしょうか?
ネットの反応は次の通りです。
ゆっくりとお休みください。 お疲れ様でした。 ご冥福をお祈りいたします。
高校野球のレジェンドがまたひとり、、、 迫田さんほど名将という肩書がしっくり来る方はおられないと思っています。
1973年の優勝はよく覚えている。サウスポーの佃がエースで達川や金光がいたチームで、当時のバントやスクイズはぬきんでいた。
現役高校野球監督のまま、天に召されたところがいかにも迫田さんらしい。
野球に関してご兄弟揃って超一流の指導者であり、高校野球の球史に残る指導者のお一人だと思います。ご冥福をお祈り申し上げます。
迫田さんのご冥福を祈るコメントでいっぱいでした。
高校野球の監督という域を超えて、その人間性までもが愛されていたんだという事がわかりますね。
広島商業時代の甲子園優勝が印象強いというコメントも見られました。
本当に日本を代表する指導者でしたね!
謹んでお悔やみ申し上げます。
まとめ
今回は、迫田穆成さんが亡くなった件と、その死因についてまとめました。
迫田さんは現役時代と監督の両方で、甲子園優勝を果たしているレジェンドともいえる指導者です。
死因についてはすい臓がんという事でした。
これからはゆっくり休んでいただき、今後の野球界を見守っていてほしいところですね!
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